FC2カウンター いちじくりん
いちじくと凛とMINIのアル。それから新しいきょうだいの四つ葉、そして山元加津子のおかしな毎日。




   
昨日はワンピースの会だったので、お休みした大工のお仕事。今日は、朝からひとりで大工の仕事。楽しいけれど、やっぱりさびしいのです。
まこちゃんに「ひとりはさびしい」とメールをしました。
朝いちばん、昨日は解せなかった脱衣所のすみの方を、ドライバーを飲み代わりにつかって、けずりました。

それから、ダスキンみたいな棒に雑巾をくっつけて、固くしぼった濡れ雑巾で天井を拭きました。雑巾が真っ黒に。
二度目も、少し黒いので、後でもう一回ふこうと思います。
まこちゃんが、わたしが寂しいと書いたら来てくださいました。
そして、さっそくもう一度天井を拭いてくれて、脱衣所をみてくださって、タイルがとれかけているのと言ったら、これはここも全部浮いているし、全部バラバラと落ちるよと。


本当にあっという間にボロボロ落ちて、全部そこを取ることにしました。

そして、そのあいだに、お風呂場のタイルと浴槽のあいだのすきまに、後藤さんから教わったとおり、プチプチをいれました。
そして、そこに、白いゴムみたいなものをピストルのようなものに装着して入れようと思うけど、どんなにハンドルを押しても出てきません。
まこちゃんが「貸してごらん」って言ってくれたけど、まこちゃんでも出てきません。
これさきっぽ切るんじゃないの?とまこちゃん。ああ、本当にそうでした。
白いゴムみたいなものをいれたあと、
今度は、天井の残りの養生をするために、まず養生テープを貼りました。これはふたりでないと
脚立を移動できないので、むずかしいのです。片方の脚立にのっているあいだに、もうひとりが脚立を移動して、テープを貼っていきます。
降りたりのぼったりしていたら、養生テープがくちゃくちゃになってしまうので、困るのでした。
まこちゃんが、ペンキはどうしたの?と聞いてくれたので、これとこれを注文したのと言ったら、誰かのお名前を言って、⚪⚪に聞けばよかったのにと言いました。
それはどなたでしたっけと聞いたら、お嬢さんのご主人でした。
そしてすぐに聞いてくださって、お風呂場のペンキと、それから、シーラーの残りもくださるとおっしゃるのです。
わーい、ありがとうございます。不思議です。いろいろな方が助けてくださることが。
4時になったので、わたしとまこちゃんはいったん、これで終了。
わたしは6時に用事がおわったので、また、現場に戻りました。
そこへ友達が帰ってきました。
それで、マスカーという、ナイロンが落ちてくるタイプのものの、短いものを貼って、完全に養生が完成しました。
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お散歩中に見つけた赤い葉っぱ
美味しそう
でもかっこちゃんに食べちゃダメと叱られた。
新しい秋の朝  味わいたかったな
秋だからねと同居人が言いました。
新しいホカホカを買ってくれたらしいです。

どうして一つだけ?? 二人いるのに

仲良くしなさいねーーーだって
二人いるのにさ
14141780_1308097752555426_1091927078310447862_n.jpg
仙台で「銀河の雫」の初上映会があり、そこで、宮ぷーが講演をしました。
三ヶ月以上もかけて原稿を作りました。脳幹出血で7年半前に倒れた宮ぷー。こうして、仙台まで飛行機に乗って、こうして多くの方の前で講演をしている。こんな日が来るんだなあって、深いところから湧き上がるように涙が出ました。宮ぷーの講演内容です。写真はじゅんちゃんがとってくださったものです。
・・・・・・・
皆さん、今日は、銀河の雫の初上映会に、来てくださってありがとうございます。
映画はいかがでしたか?
僕は白雪姫プロジェクトを、応援したり、この映画の配信をしている、一般社団法人、ロバの耳の代表理事をしているみやぷうこと、みやたとしやです。
このように  自宅から  遠く離れた 仙台の地まで  飛行機に乗って  僕が来られるとは  以前の僕には  予想もできませんでした。
われながら  驚いています。
僕のように  普段、座位保持装置に乗っているひとが  飛行機に乗るためには  航空会社をふくめて  多くの人たちが  じつにいろいろの  事前の用意が  必要です。  はたしてそんなことができるだろうかという迷いもありました。けれど、多くの方が僕の背中を押してくれました。僕が、いま、このステージに立つまでには多くの物語があったと感じています。

僕は今から、およそ7年半前の二千九年二月はつかに、脳幹出血という病気で倒れました。倒れる前日まではおろか、当日の昼までさえ、病気の気配はまったくありませんでした。
それは突然、訪れました。
夜中にひとりで自動車の運転をしていたとき、突然、だんだん体が自由に、動かせなくなったのです。
曲がりたい小道の交差点で曲がれません。
それでもなんとか車を家のすぐ近くの、勤務先の駐車場にとめることができ、そこから家族に電話をかけました。
家族と言っても、当時、僕のまわりで、頼りになるのは、近くに住む妹がいるくらいでした。今もそうですが、僕はひとりぐらしでした。
電話の声も、うまくロレツも、回らず、それも真夜中に、自分の居場所を妹に伝えられたのは、奇跡に近いと思われます。
しばらくして妹が来てくれました。
そして、救急車を手配してくれました。
この時、妹がすぐに、来てくれなければ、きっと死んでいたでしょう。
脳幹出血の生存率は、ものすごく低いのです。
およそ1割しかありません。
こうして、僕は、大学付属病院に、かつぎこまれました。

実際のところ、僕の状態は、絶望的だったと思います。瞳孔は開いたままで、舌が口から出てしまっていたそうです。内臓の動きもなく、呼吸器をつけないと息もできない状態だったそうです。

最初は、僕に関わってくださった4人のドクターのうち、3人が、「このまま死なせてあげたら」と言われたそうですが、残りの一人のかたが、僕が年齢的に若いので、生きることはできるかもしれないと言われたそうです。
けれど、生きていても、もういっしょう、目覚めることもなく、植物状態だろうと思われました。
そんな僕が、いま、このステージに立って、みなさんの前に立てたのは、かっこちゃんが、特別支援学校で、子供たちといて、回復方法があることを、知っていて、常識とは違うかもしれないけれど、その方法でリハビリを続ければ、回復すると信じて疑わなかったからです。
大学病院での 2ヶ月間の記憶はほとんどないけれど、倒れたすぐから、かっこちゃんが、大丈夫、みやぷうは大丈夫と言い続けてくれたことは、なんとなく、記憶というか、感覚は覚えています。
そのころから、かっこちゃんは、グラグラした体の僕を、隠れて起こしたり、揺らしたり、話しかけたり、し続けてくれたようで、映画などを見て、すごく感動をして、感謝しています。
もし、どんなことをしても、無理と思っていたり、方法を知らなかったら、すぐに、体も、硬くなり、今頃、立つリハビリもできていなかったと思いますし、それどころか、思いも、伝えられないままに、いたことでしょう。
 意識が戻ったときに、僕は体のどこも動きませんでした。何かを伝えたくても、何もできない。でもそのときに、かっこちゃんの顔がいつも目の前にあって、だいじょうぶだと言い続けてくれました。僕のわずかな動きも決して見逃さないという、かっこちゃんの思いというか、技術が、僕の気持ちを引き出してくれました。そうです。ほんの一ミリの動きに、かっこちゃんは、気付いてくれました。このとき、僕は、相手に、自分の考えが伝えられる喜びを、実感しました。わかってもらえた。わかってもらえた。それは、ひとすじの僕の生きる光となりました。それまでは、ドクターでさえ、僕には意識があると、思っていなかったのです。
これをきっかけにして、僕の体は、ちょっぴりずつ、動き出したのです。
やがて、イエス、ノーのみで、伝えることしか、できなかった僕が、ほんのすこし動かせる指につけたスイッチとレッツチャットという機械を、使って、いろんな人に、思いを伝えられるようになりました。
こういう機械を、意思伝達装置と言いますが、実際、僕のいた、病院で、これを使っている人は他にいなかったと思います。かっこちゃんが、特別支援学校でひとりひとりの子供達と、コミュニケーションを取る方法を、ずっと、探し続けていたことで、知っていたのです。
ところで、このように書くと、すぐに、回復したように、見えますが、自分で思うように、合図が送れるには、六ヶ月のつきひが必要でした。
僕は心がどちらかというと、弱いと思います。すぐにめげそうになるし、どうせ何をしてもかわらないんだと思ったこともありました。でも、死ぬことを考えたのは一度だけでした。妹に殺してくれと頼んだときに、妹が、「どうして、私がお兄ちゃんのために、人殺しにならないといけないの。それは絶対にいやだ」と言ってくれました。何度もかっこちゃんに、「このままもう変わらないと周りの人はいうけど、かっこちゃんは回復するという。どちらが本当なの?」と尋ねました。そのたびに、かっこちゃんは、「あきらめなければ、回復する。回復するかしないのは、誰が決めるわけでもない、ドクターが決めるのでもない。それは宮ぷーが決めるのだ」と言いました。
あきらめない。決してあきらめない。その心でいれば、人間の中にあるものすごい力で、回復していけると僕はいまは信じています。でも、実際はまだできないことがほとんどです。この講演の文字も、書くのは簡単ではありませんでした。
ひともじひともじなので、とても時間がかかります。この文章は、完成前に3ヶ月以上もかかっています。
僕の回復に応援をしてくださったひとりが、「僕のうしろに道はできる」の映画を撮ってくれた岩崎靖子さんです。最初は、回復はしないと思われていました。そんな僕を一生懸命とっても、映画にはならない可能性もあったはずです。でも、回復を信じて映画を撮ってくれました。映画をとってもらっているから、がんばろうという思いもとても大きかったです。
転院した脳神経外科病院には、およそ、6年間、入院していましたが、しだいに、かっこちゃん以外の人が、何人か、本当に、奇跡的な、出会いなどが、いろいろあって、来ていただけるようになりました。
ありがたかったです。その人たちは、チームみやぷうという名前になりました。
チームみやぷうができて、ぼくのリハビリを手伝ってくれるようになったのです。
それまでは、かっこちゃん一人でしか、できないリハビリが二人でするようになって、パワーアップできたし、それ以外にも、病気になったおかげで、こんなにも、人というのは、優しく、温かいものだと知ることができました。
僕は倒れる前、あまり人を信じられる方ではありませんでした。
けれど、チームみやぷうの皆さんは、それぞれが、自分の家庭があるなか、ボランティアで来てくれています。感謝してます。人というものは、こんなにも優しいものなのかと僕は、よく考えます。今のぼくがあるのも、チームみやぷうのみなさんの おかげです。
もちろん、病院のスタッフのみなさんにも、大変お世話になりました。皆さんや、かっこちゃんや、チームの皆さんのおかげで、少しずつですが、回復をして、体のいろいろなこところが、ちょっとずつ、動き出したのです。
そんなふうにして、リハビリをして、5年後に、病院を退院して、一人暮らしが始まりました。
一人暮らしから2年経ちます。訪問看護師さんが毎朝来てくれて、朝の用意をしてくれて、僕はデイケアに行きます。帰ってくるのを、かっこちゃんとチームのみなさんの誰かが待っていてくれます。
チームみやぷうの方々もかっこちゃんも、毎日来てくれます。何年もそれを続けるのは、本当にすごいことだと思います。自分だったらできない。できないことを、してくれていることに、感謝の思いで、いっぱいです。
今の僕は、かっこちゃんやチームみやぷうの みんなや、妹だけでなく、訪問介護に来てくださる、看護師さんや先生、そして、デイやショートステイのお世話にもなっています。みんなの助けなしには、僕は1日も送ることができません。
でも、多くの方は、奥さんだけ、ご主人だけが、介護をされている場合もあるでしょう。社会の中で、やはり、家族だけでは、つぶれてしまうのじゃないかと思います。
助けてもらっている本人が、言うのも、おかしなものですが、周りの方、どうぞ、温かい手を、皆さんに、貸していただきたいと思います。どうぞお願いいたします。
これは、本当のことです。僕のように体が動かないものが、自分に誇りを持って生きることは簡単ではないと思います。
もし、世話をする人が疲れていては、けっしてみんなで幸せになることはできません。
そんな僕は、こんな状況の中では、なかなか社会活動に、参加しづらいと思われていましたが、ロバの耳の代表理事になることで、障害がある人でも、社会参加できることを、しめしたいのです。
やはり、僕は、自分の生きる意味を、見つけたいのです。生きているだけでも、大切な命ですが、やはり、お世話になっている社会に対して、お返しがしたいというのが、僕の気持ちです。
4年前、かっこちゃんは、僕のような状態になって、あきらめている人がたくさんいることを知って、回復や意思伝達の方法を伝えようと白雪姫プロジェクトを立ち上げました。4年経ち、大きな成果をあげていると僕は思います。回復する方法があること、みんな思いがあるということを、一般常識にすることが大切だと思うのです。
先日、相模原の障害者施設で、大変な事件が起きました。障害を持っている人は、幸せではなくて、そして、ただ、お荷物になっているだけなのかということを、みんなが考えた事件だったと思います。
こういう気持ちは、事件を起こしてしまった人だけでなく、本当は、心の奥に、多くの人が持つ気持ちかもしれません。きっと、ぼく自身の中にも。あるものなのかもしれません。
たとえば、泥棒や殺人を犯してしまう人は、いらないんだという気持ちは、やがて、誰かを差別する気持ちにもつながると思います。
僕ができることは、僕は体も動かないけれど、とても幸せだよ。楽しいことやうれしいこともいっぱいあるよ。みんなで一緒に生きていこうよと、僕はもっともっと伝えていかなくてはいけないと思います。そうすることが、こういった事件を無くする一助にならないかと思います。
ところで、銀河の雫の映画はどうでしたか?
このネパールの映画は、大地震の後も、変わらずに、一生懸命に日常を送る、ネパールの人々の姿が描かれていて、僕は、とても感動しました。
僕は病気になりました。それは、僕にとっては、もちろん、とても大きな出来事でした。ネパールの人々の大地震は、僕の病気と同じほどの、大きな出来事のはずです。僕は一時期、自分のことしか考えられないこともありました。いいえ、いまも僕はつい自分のことばかり考えてしまいます。それなのに、ネパールの人たちが優しさを忘れずに、相手を思う姿や、世界中の人々の幸せを祈る姿は、素晴らしいと思います。

僕は、最初、かっこちゃんが、ネパールへ行って、映画を撮って、監督もすると聞いたときに、とても驚きました。正直、無理だと思ったし、心配でなりませんでした。
学校に勤めていたときに、かっこちゃんの周りは、いつも子供達でいっぱいでした。かっこちゃんはしょっちゅう、怪我をしたり、失敗したりします。とんでもないこともします。それが心配で、子供達はいつも、そばにいたように、思います。僕もその一人でした。子供達も僕も、ほうっておけないというか、また、とんでもないことを言ったりしなかったらいいのになあと、思っていたと思います。
そんなかっこちゃんが、映画を作るというのです。また、とんでもないことを言い出したなあと思いました。それに、今の僕は、何も手伝ってあげることもできないのです。とても心配をしましたが、周りのみなさんが、かっこちゃんを助けてくれました。ありがとうございます。僕の映画に出てきますが、僕が倒れて、すぐに、小林さんや、さかねさんや、赤塚さん、てっちゃんに、「かっこちゃんをお願いします」とあかさたなスキャンで頼んだことがありました。僕が倒れて、何も手伝えないのがつらいのです。今日はたくさんのみなさんにもお願いしたいです。「かっこちゃんをおねがいします」
なぜかというと、かっこちゃんはとんでもないことをいつも言い出すのですが、それは、自分のためじゃないのです。弱い子供たちのために、誰に対しても、泣きながら、伝えるのです。あとで、あのとんでもないことは必要だったとわかります。この映画は大切な映画だと思います。
かっこちゃんが、学校の子供達に、いつも言っていたこと。みんな素敵だということや、誰もが大切で、争わなくてもいいということが、本当のことなんだとわかる映画になっていたと思います。
僕は、チームみやぷうのみんなで、字幕を確かめるために、映画を見た後、感想を言い合ったときに、最初に、難しいと言いました。それは、映画が難しいという意味ではないのです。映画はこんなにもやさしく伝えてくれていると感じましたが、とても内容が深くて、一度で全部を消化することが、難しいほど、大切な映画だと言いたかったのです。何度も何度も、噛みしめるように見て、本当に大切なことが、何か、きっとわかってくる映画だと、僕は言いたかったのです。ぜひ、みなさんの感想も教えていただきたいです。
僕はロバの耳の代表なので、みなさんの感想がとても気になります。
この上映会の後、一般上映会が始まります。ロバの耳の代表としてだけでなく、かっこちゃんの友人として、また、地球の幸せを願う一員として、お願いします。この映画を広めてください。争いを世界中から無くすために、ぜひ、自主上映会のお申し込みをお願いいたします。自主上映の収益は、ネパールの子供達やみなさんの支援や、白雪姫プロジェクトをひろめることに、使われます。
お手元のちらしなどの中の、はがきのうらに、申し込みのアドレスが書かれてあります。また、ロビーではチーム宮ぷうのひろこさんが、自主上映の受付をしてくれています。まず、自分の家のテレビで上映会をしてみませんか? みんな大切だという心を、まず自分の大切な仲間から初めてはいかがでしょうか? みんなで、ひとつの命を生き、争わずにいられる世界にみんなでしたいのです。
最後にこの上映会を開いてくださった、しげちゃんと、とよちゃんと、僕をここに連れてきてくれたチームのみんな。そして、来てくださったみなさんに、心からお礼を申し上げます。しげちゃんと、とよちゃんは、どんなに大変だったでしょう。お二人は「宮ぷうとかっこちゃんを応援する会」という名前で、ずっと応援を続けてくれています。なぜ、人はこれほどまでに、誰かのために一生懸命になれるのでしょうか? 僕は何ができるのでしょうか? そのことをよく考えます。
また、遠く離れていても、いつも僕のことを応援し、祈り続けてくださったみなさんにも、お礼申し上げます。本当にありがとうございました。

ぼくには、大きな役割ができました。ぼくは、これからも、がんばります。

・・・・・・
宮ぷーありがとう。胸がいっぱいです。応援くださったみなさんありがとうございます。

穴の開いた靴下やもう着ない長袖Tシャツの袖はわたしにとってはお大事です。だってお掃除の道具になるから。水拭きだってワックスがけだってできちゃうんです。
とにかく何か作りたくて作ったキーホルダー  本作りでちょっと煮詰まることがあったので、一休みの時間に作ったらいいことを思いついて解決したよ。ジタバタしたりあがいたり、ちょっとお休みすることって大切ですね。
家に合皮があったので、ぺんケースを作りました。

糸を通す穴をあけても、穴が縮んでどこに開けたかわからなくてしまうのは、合皮だからなのでしょうか?
内側と外側はつながっていて一枚。そうすると縫う場所が減ったり、つながっているところが、なんだかいい感じだなと思います。