FC2カウンター いちじくりん スナーコ博士の理論。
いちじくと凛とMINIのアル。それから新しいきょうだいの四つ葉、そして山元加津子のおかしな毎日。
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スナーコ博士が、昨日の日記にこんなコメントを書いてくださいました。
「どこにでもいる。それでいて一つの位置からの見え姿をもつ。
いつでもいる。それでいて一つの時からの経験をする。
視点と視座の問題なのかもしれません。
あるときは野村さんとして、あるときは山もっちゃんとして、あるときはかつてのそして未来の自分として。
宇宙は自らをこうして分けて経験しているのでしょう。
そのからくりは、鏡にあるのだと思えます。鏡とイマジネーションによって体験の王国をつくっている。
さて、今日はなにがおこるか。なにをおこそうとしているのかな。。。」
スナーコ博士はどうしてちゃん仲間です。大学で時空や素粒子を意識を含めてた研究をしている偉い先生だけど、私のとりとめない話によくつきあってくださいます。スナーコ博士、このごろおしゃべりしてないねえ。
ねえ、スナーコ博士、もし、神様がいるとしたら、その命令をどんなふうにして、現実化したと思う?

前にドットのことをメルマガにかきました。スナーコ博士、こんなふうに書いたの。

小林さんにね。電車の中や飛行機の中で、つぶつぶについての話をしたの。小林さんは「つぶつぶは材料なんだね」って言われたの。でも、違うの。つぶつぶは材料じゃないよ。再生装置なの。どういうことかというと、電光掲示板のことを考えてみてほしいのです。電光掲示板にはドットがいっぱい等間隔にしきつめられています。そこを、パソコンで入力した文字や絵が、移動をしていくわけだけど、移動しているように見えるけど、本当はそうじゃないのです。たとえば、加津子という文字が電光掲示板に流れてみえるようにしたいとします。掲示板のたくさんのドットが、瞬間、瞬間、パソコンの命令によって、黒か、あるいは白になっているだけ。そのドットは移動しないのです。命令によって、一瞬一瞬変わっているだけです。けれど、加津子の文字は移動して見えます。その仕組みで、パソコンやテレビは映し出されています。アトムが飛んでいるように見えても、ドットは移動していません。命令によって、その瞬間再生されているだけです。
 この宇宙もそんなふうだと私は思うのです。この宇宙にいっぱい、等間隔に敷き詰められたドットがあって、神さまの計らいによって、そのドットが、そこにものがあるように映し出しているだけ。次の瞬間、すぐ隣に私の体が移動しているように見えるけれど、ドットは移動はしないのです。私という人間の皮膚の色、やわらかさ、質、重さ・・・もっともっといろいろなものが、再生されているだけ。宇宙の約束の詩の中で、私はつぶつぶが集まってって書いてしまったけれど、本当は集まってというのは誤解をうみやすい表現をしてしまったなあとちょっとしまったあって思っています。集まってというと、そこにだけあるみたいで、まるで空間につぶつぶの密度の濃い場所と薄い場所があるみたいに思われちゃうけど、私はそうじゃないと思っているのです。すべてがドットで表されていて、そこが、設計図によって、再生されているだけ。空気のところは空気として再生され、私は私として、再生されている。もしもし仮に何にもないところがあったとしたら、それは何にもないというふうに再生されているんだと思います。一瞬一瞬、再生されている。カレーライスがあるとしたら、形だけでなく、においも、質感も、味も、何もかもその瞬間、そのドットが、カレーライスの一部分となって再生される。カレーライスがお盆に載って、テーブルへ運ばれても、そのドットが運ばれたのじゃない。電光掲示板のドットが動かないでも文字が動くように、カレーとして再生されたドットは、次の瞬間には、水だったり、私として再生しているかもしれません。
そう思ったとき、私は、見事に空だなあと思うのです。そして、空だけど、神さまの計らいによって、私たちはここに確かにあります。あるけど、ない。ないけど、あります。そして、みんなで、神さまが、全部だいじょうぶなように考えた約束のもと、ひとつ命を生きているのだと私はそんなことをぼんやり考えています。だから、あなたが痛いと私が痛い、あなたが悲しいと私も悲しい。あなたが嬉しいと私も嬉しいんだよね。
またこんなふうにも書いたよ。

小林さん、神さまが設計図を作られたわけですよね。それを、いったいどういうふうにして、形にしたのだろうといつも考えていたんです。たとえば、今、私がここに座って、音楽が鳴っていて、小林さんと電話をしていて、目の前にはまだお返事書いていないお手紙がきちんとじゃなくて、つみあがっていて、コーヒーのにおいもしてるというようなこういう状況をどうやって形作ったのかなあって思っていたのです。そして、これしかないなあと思ったのです。ほら、パソコンの命令とか指令とかが形作られるのは、たとえば、パソコンの画面にすきまなくあるドットがその命令によって一瞬一瞬変化しているわけでしょう。形が移動して見えても、ドットが変化しているだけ。やっぱりこれだなあって思ったのです。だから、神さまの設計図も、宇宙にすきまなくあるドットがにおいも音もさわった感じも、何もかもを再生してるって思うのです。
だから、再生されてるだけだから、どのドットも全部同じものなんです。私と空気境目とかがあるわけでもないの。ただ再生されているの、一瞬一瞬、だから、私は「ある」けど私は「ない」とも言えるので、そこにあるものは、神さまの計らい、設計図だけじゃないかなあって思うのです。それでね、じゃあ、どうやって、そのドットが神さまの設計図を読み取っているかというと、私はそのひとつひとつのドットの中にすべての設計図がもうあると思うのです。だから、そのドットがみんな神さまとも言えるんじゃないかと思ってて・・・」

ねえ、私、ドットのことをいつも考えているよ。そうして、スナーコ博士が書いてくださったことを思ったときにね。どこにでもいて、そして、いつもいる。それはドットの中にすべてがあるからなのかとまた考えているよ。スナーコ博士、またお話聞いてね。
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コメント
この記事へのコメント
3学期になって,いいことばかりが起きます。当たり前のことかもしれませんが,今まで積み上げてきたものが芽を出しただけのこと。チューリップの芽が伸びるように,確かに子ども達も成長しているのです。
2010/03/13(土) 21:36 | URL | yuko #-[ 編集]
ひさしく話してませんねぇ。。。
またお話しましょ

「ドット」説面白いです。
その場合、モノの消息が消えて、コトの世界になりますね。
モノからコトへ。
粒子から情報へ。
物質から意識へ。

宇宙にひろがるドットは、ひょっとしたら、一つのドットが鏡でコピーんされているのかもしれませんよ。
元型ドットがバーッと空間としてひろがって、その一つ一つにパターンが転写されていく。

一つのドットは、他のすべてのドットを映す。
となりのドットとの違いは自らを映していないこと。
そして、ドットパターンがその上に展開される。。。
展開されたドットパターンはどっこい一つのドットに映ってる。

ちょうど真珠の集まりを考えてみてください。
いろんな真珠がある。
真珠の表面には他の真珠が全部うつってる。
ひとつひとつは他の全体を映している。
それでひとつが色をもったとします。(そんな色の真珠が集合してなにかのパターンをつくってる)
すると他の全部にその真珠が映る。


パールネットワークとよばれているものの進化したモデルになってます。。。おもしろいね。
2010/03/15(月) 00:09 | URL | スナーコ #-[ 編集]
スナーコ博士、小林さんはよく宝珠の網って言います。鏡に全部、まわりのを映すんですって。
おもしろいですね。でも、私は、そのドット自身がもっているような気がしています。
2010/03/15(月) 16:54 | URL | kakko #-[ 編集]
かっこさん!ほんと!ほんと!私もそう思う!!ドットのこと、本当にそうだって思う。すごいすごい!!このことをこんな風に説明できてしまうかっこちゃんをまたまたすごいって思う。
2010/03/21(日) 10:44 | URL | サムエル #-[ 編集]
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