FC2カウンター いちじくりん 3日目広島にいました。
いちじくと凛とMINIのアル。それから新しいきょうだいの四つ葉、そして山元加津子のおかしな毎日。
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
08915.jpg
広島の福山にある専門学校のオープンキャンパスに呼んでいただいて、映画のあと子ども達のお話しをさせていただきました。
そのあと、広島市へ。
本の少しのあいだだけど、今まで訪れたことがなかった原爆ドームと資料館へ小林さんが連れて行ってくださいました。
時間がなかったので、駅でタクシーに乗りました。
原爆ドームのあと、資料館へお願いしますと運転手さんに小林さんが言ったとき、年配の運転手さんが
「私は6才のときに、原爆にあっとるんです」と言われました。
「私は少し先の親戚のところに行っておったので、大丈夫だったけれど、父親も母親も市内におったので、原爆で死にました」
運転手さんはとても強い調子でお話しを続けられました。
「次の日に来たときはもう、ひどいことになっていて、電車の中にたくさんの人が死んでいて、地獄のありさまでした」
「どうしてキリストさんの国のアメリカがそんなひどいことをしなければならないか、私はそれをずっと勉強し続けてきました」
「原爆が落ちる前に、アメリカ軍は日本語のちらしをまいとるんです。特別な爆弾をいついつに落とすから、市内から離れなさいというちらしです。ひろって警察に届けたものは、みんなつかまりました。そのことは残念なことに資料館にはどこにも展示してない」
「アメリカが全部悪い悪いとばかり言うけど、私は父も母も原爆で失ったけれど、あれがなかったら、もっともっとたくさんの人が死んでおったでしょう。爆弾を落とした人は、直々のトップの命令を受けた・・断れなかったと言っていますよ。当たり前です。断れませんよ」
運転手さんは、きっとお父さんとお母さんを亡くされたことで、どんなに大変な思いをされてこられたでしょう。どんなに悲しかったことでしょう。その悲しみと苦しみを受けとめられるために、いろんな本を読まれて、そして、「あれは仕方がなかった」と思うことで、悲しみを受けとめていこうとされたのでしょうか?
運転手さんは、仕方がなかったとは本当は思ってはおられないと思います。戦争というものは、爆弾を落とす者も、もちろん大きな苦しみを背負って生きていて、そして、落とされたものも、落とす者も、自分の関係のないものが決めたことに巻き込まれて、大きな苦しみを背負っていくのだ・・むやみに、責めることがいいわけじゃない・・戦争を憎むのだと思われたのだと思います。
「運転手さんはお体は大丈夫でしたか?」
「私は、幸運なことに大丈夫でした。息子が生まれて、どうなるだろうと心配したけど、大丈夫でした。孫が生まれるときにどうなるだろうと思ったけど大丈夫でしたよ」とおっしゃいました。ずっとずっと心配をされて、不安な中に生きてこられたのです。
「私は、頭がとても小さく産まれた子ども達を何人も見ましたよ。真っ白な体で、小さいうちに亡くなってしまう子どもも見ましたよ」とおっしゃいました。
運転手さんに、お礼を言って、そして原爆ドームと資料館を早足で訪れました。何を見ても、運転手さんの言葉がよみがえってきて、そのときに来ておられた洋服や融けた腕時計や・・何を見ても涙がこぼれそうになりました。
「何も言えなくなってしまう」と小林さんはおっしゃって、「今度はゆっくりと考えられるくらいゆっくりと来ましょうね」とおっしゃいました。


子供たちのことをたくさんの方に知ってもらいたくて、ブログランキングに参加しています。応援してくださったらうれしいです。ブログランキングと書かれた文字をぽちっと押してください。どうぞよろしくお願いします。
人気blogランキングへ
スポンサーサイト
コメント
この記事へのコメント
運転手さんは長い長い時間を掛けて、苦しみを受け止めたんですね。
そして、分かった事や自分の気持ちをお仕事での関わりを通じて伝えているんですね。。。
やっぱり、ひとりひとりの心の平和を願っているのでしょうか。
見学して攻撃的な気持ちが生まれる事になったら、それも戦争の一部になっていくのかも知れない事ですし…
攻撃でなく、平和の決意をし続けていたいです。。。
2008/09/16(火) 01:06 | URL | 金の卵を生むひよこ♪ #-[ 編集]
広島に来られていたんですねv-22
広島に住んでいながら,
そのビラの話は初めて聞きました。
広島では,
幼い頃から平和教育を行い,
戦争のおそろしさや,
平和の大切さ,ありがたさを
学ぶようになっています。
けれども,
まだまだ知らない部分があるのだなぁと感じました。
私は,平和教育が,
全国で行われることを願っています。
2008/09/16(火) 01:08 | URL | ハル #-[ 編集]
kakkoちゃん
私も3年くらい前に資料館と原爆ドームに訪れました。
半日以上かかって資料館をゆっくり周りましたが小林さんがおっしゃるように「何も言えなく」なりました。

なんと言うことが起きていたのだろう・・とやるせない気持ちになりました。
2008/09/16(火) 07:37 | URL | perican #-[ 編集]
原爆資料館に行かれたのですね。

良い機会を作って頂きました。
ありがとうございます。

広島で小学校時代を過ごした人で、原爆資料館に行ったことが無い人は
ほとんどいないと思います。
でも、広島の人が原爆のことを
特に被爆者の方々のまたそのお子さんの苦悩を知っているかというと
そんなことは無いのだと思います。
それは、そんな方たちと親しくならないと分からないことなのだろうと思います。

それでも苦しみの中に止まらないで生きて行こうとする逞しさに命の素晴らしさを見る思いです。

原爆のことも、知っていると思わないで、いつもまっさらな心で接して行きたいと思いました。

ありがとうございました。
2008/09/16(火) 08:50 | URL | Alba #-[ 編集]
といってみたり!
2008/09/16(火) 13:03 | URL | のほほんももんが #-[ 編集]
『夕凪の街 桜の国』というマンガのことを思い出しました。映画にもなりました。
原爆にあった人・その子ども・そしてまたその子どもさんの愛と悲しみが淡々と描かれていて、それだけに深い悲しみを感じます。
あのマンガのようなことは、たくさんあったのでしょうね。
2008/09/16(火) 17:46 | URL | くまだちゃん #-[ 編集]
ヒロシマを知りたければご案内します。旧日本銀行広島支店 と袋町小学校原爆資料館はせび訪ねてほしいです。広島は復興と同時に許しと寛容の精神の象徴です。それを原爆の語り部から教わりました。昔みたいな強烈なインパクトから少し変わった原爆資料館ですが、戦争の悲惨さは十分わかっていただけると思います。今日本は拉致を叫びますが、戦争の名のもとに拉致を行っていました。そんな歴史は繰り返してはなりません。
忘れないでください。日本は戦争加害国でもあるという事実を。そして世界唯一の原爆被爆国でもあるということを。
それがヒロシマを語り継ぐ私たちの責任です。
2008/09/16(火) 18:19 | URL | とく #-[ 編集]
娘の帰省で拝見するのが今日になりました。読み進むうちにあふれ出る涙は頬を伝いこぼれ落ちていました
。遠方と言う事や家庭の事情と言う事もあり広島に出向く事は叶わないまま現在に至りますが、あの涙は自分の無知を恥じる物だったのかとも思われてなりません。
心の痛みを共感できる人間でありたいと常々思っていますがまだまだ知らない事の多さを痛感しました。

『いちじくりん』を通して色々な事を知り感じられる事は幸せな事と感謝しています。
ありがとうございました。 
2008/09/17(水) 05:00 | URL | 大猫ママ #-[ 編集]
子供の頃は夏になるとテレビで先の大戦の映像を 連日放送していました。
最近はメッキリ時間枠が減った気がします

その時代を過ごした方には思い出すのも辛い出来事でしょうが
けして忘れてはいけない出来事・・
そして戦争で犠牲者になった方々の上に
この国が成り立ってきた事もけして忘れてはいけないと思いました。
2008/12/09(火) 23:58 | URL | ピッチ #/2CD/BNk[ 編集]
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。